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東北再出発応援日記バックナンバー

北村東北財務局長
 東北財務局長の北村です。
 これから多くの方の声をお聞きし、試行錯誤しながらも我々の役割、我々にできることは何かをたえず考えながら全力で取り組んで参ります。

2012.10.25


 東北の復興・再生には、沿岸部での水産業および水産加工業の復興が大きな鍵を握ります。先日は石巻市での水産業・水産加工業の復興へ向けた動きをリポートしましたが、今回は宮城県内のもうひとつの主要な漁港である、気仙沼市での状況を報告します。


 気仙沼市に本拠を置く「(株)阿部長商店」は、創業から51年になる会社です。現在は本業の水産加工のほか、気仙沼市内に2軒、南三陸町内に1軒の観光ホテルを有し、その延長で観光客向けに土産物の販売と飲食事業も展開しています。当社では、震災前はグループ会社も含めて16の施設(加工施設やホテル等)がありましたが、津波でそのうち12の施設がほぼ全壊しました。

東北再出発応援日記10月25日:画像1
 震災当日、代表取締役の阿部泰浩氏は出張中で、テレビで気仙沼の惨状を知ったそうです。最初は途方に暮れ諦めかけたとのことでしたが、気仙沼に戻ると幸いにも2軒のホテルは無事で、相当のダメージはあったものの加工施設も数ヵ所残っているのを見て何とか再建できると思ったそうです。当社では気仙沼地区以外の3加工施設がほぼ復旧し生産を再開(稼働率は60%程度)していますが、やはりグループ補助金に大変助けられたとのことです。



 阿部代表は、復旧しても震災前の状態に戻すつもりはないと語ります。水産加工業は震災前から先行き厳しい状況が予想され、当社では海外への販売を強化していましたが、原発事故の影響で海外への輸出がストップしてしまいます。そうなると国内の販売・流通を掘り下げるしかなく、グループを挙げて商品開発を強化することになりました。これまでの当社の仕事はふかひれや干物の加工、冷凍製品の粉付けなど大手の下請け的な仕事が主だったのですが、震災を契機に、ふかひれスープや常温保存が可能な和・洋風煮魚などを「マーメイド」という自社ブランドで売り出すことにしました。自社ブランドを立ち上げるきっかけは、避難生活をしていた社員達が自分たちが食べたいと思ったものを作ってみようということだったそうです。大手でなくても自分たちができること、独自ブランドでもやっていけることに手ごたえを感じているとのこと。


 これまでの流通ルートも全く変え、昨年9月には東京に営業所を設け、新しいルートを開拓した結果、荷受業者を通さずに流通ルートの最終に位置する大手量販店と直接取引を開始することに成功します。東京に拠点を構え消費者の近くにいると、たとえば加工商品がカード会社のポイント交換用の景品や出版会社の育児雑誌の出産祝いとして使われたり、防災会社からは常温保存商品としてニーズがあるなど、商売の色々なチャネルが見えてきたとのこと。東京の営業所は10月からお台場にある都の創業支援施設に移転し営業を強化していくとのことです。



 阿部代表は、新しいルートを開拓して色々なことが分かったと言います。
 (1)情報量の違い:これまでは複雑な流通過程の中で、自分たち生産者には欲しい情報も届かず、最終的には価格だけで動く世界となって、そのしわ寄せが生産者に来ていたが、消費者と直接つながることで、様々な情報を得て商品開発に活用できるようになった。また、当社からも情報(例、魚をおいしく食べられる方法等)の発信も出来るようになり、消費者からも支持を得ている。情報の重要性を再認識している。

東北再出発応援日記10月25日:画像2
 (2)加工業者の必要性:気仙沼の漁業は沖合い・遠洋漁業が主流であり、沿岸漁業とは獲れる魚の量が違うため、漁業者が自ら販売することは不可能。このため、気仙沼では当社のような加工業者が不可欠であると再認識している。






 (3)付加価値を高める商品作り:これまでは気仙沼の船が質の良い秋の戻りカツオを獲っても、船内で冷凍され県外の漁港(静岡の焼津港)に水揚げされて県外産(焼津のトロカツオ)として流通していた。それでは気仙沼の船でカツオを獲る意味がないため、当社では大手量販店と組んで、気仙沼の一本釣り漁船の亀洋丸の名をとって「亀洋丸の戻りカツオ」という商品名でカツオの刺身の販売を始めたところ好評である。「どこで、誰が獲った魚か」「どのように加工したのか」といった情報のトレースをして発信することで、生産者が商品の値決めをリードできるようになる。


 「震災で失ったものも大きいが、リセットされてやる気が出てきた。東京にいる営業マンは生き生きと仕事をしているし、その影響で地元の社員のやる気も出てきた」と阿部代表は語ります。
 また、当社では中国に販売拠点がありましたが、震災後、魚が入らず拠点を閉めることも考えていたそうです。その時、現地の中国人従業員から自分たちにも何かやらせてくれと申し出があり、日本に連れてきてホテルの事務などの研修をやらせたところ、問題なく処理できることが分かり、ちょうど当社が国内事務処理の一元管理化に取り組んでいたこともあり、中国にもアウトソーシング・センターを作り、ネットでつないで総務や経理事務の下請け(単純な入力作業など)をやらせることにしたとのことです。


 他方で、石巻市の水産加工の例同様、人材確保には苦労をされておられるようです。
 当社の場合、震災前には約800人の従業員がいて、早期の事業再開を目指し、誰も解雇しないとの方針だったそうですが、工場再開の見通しが立たないことなどで、自然退職者が百数十名出てしまったとのことでした。特に20~30歳台前半の若い社員が抜けてしまい、社員の年齢構成がいびつになっているようで、中途採用者を募集しようと震災前に比べ20%アップの給与を提示しても応募者がいないとのことです。


 その他にもまだ色々と課題はありそうですが、気仙沼地区での水産加工施設がフル稼働し、港周辺にかつての賑わいが戻る日を楽しみにしています。
 

2012.10.17


 10月9~10日、仙台市内のウェスティンホテルを会場として「防災と開発に関する仙台会合」が開催されました。48年ぶりに日本(東京)で開催される国際通貨基金(IMF)・世界銀行年次総会の最初の公式イベントです。
 今回の東京総会は「震災からの復興」をテーマとしており、仙台会合はそれを象徴するセミナーとして、震災からの復興に向けて邁進する日本の姿を見ていただき、災害に強い社会の構築の必要性を被災地から世界に向けて発信するものです。

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 9日の開会式では、最初に開催地を代表して奥山仙台市長から歓迎の挨拶とともに、「被災地の教訓と復興への歩みを国内外に広く発信し、世界の防災文化の向上に貢献したい。それは未曾有の自然災害を経験し、多くの支援を得て立ち上がった者としての責務でもある」とのスピーチがありました。続いて平野復興大臣の基調講演では、「世界中から被災地への強い連帯の気持ちと支援をいただいた」との謝意とともに「原発事故の避難者帰還や、津波被災者の高台移転に粘り強く取り組む」との決意が述べられました。また被災地の若者を代表して仙台市の女子高校生2人が、自らの震災体験を交えながら「防災には地域や家族との絆が重要」と英語で呼びかけました。

 このあと講演した世銀のモヒルディン専務理事は、急速な都市化や気候変動の進展によって自然災害による被害は世界的に増加傾向にある中、国際社会が開発における防災の主流化を進めていくことが重要であると強調し、防災の主流化を進めるための戦略ペーパーである仙台リポートが紹介されました。また、日本政府と世銀が昨年秋から実施してきた共同研究の成果を踏まえ、共同研究の国際アドバイザリー会合座長である河田関西大学教授より、大震災を何度も経験した日本の防災の取組みが紹介されました。

 開会式に続いて、2会場でパネル・ディスカッションが開催されました。
 第1会場では、「途上国の開発における防災の主流化に向けた国内的課題」をテーマに、まずシュヴァイスグート在日EU大使による冒頭スピーチに続き、G20における防災の議論がメキシコ(G20議長国)から紹介されました。パネリストは中塚金融担当大臣、玉木OECD事務次長、モロッコのブリフ総務大臣、アントンシック世銀副総裁、パキスタンのハク計画委員会副議長であり、このうち中塚大臣からは、震災発生直後から被災者の支援と金融システムの安定のために金融庁において講じられた様々な施策(監督上の対応、制度整備)を紹介するとともに、その経験を多くの国々の方と共有したいとのスピーチがありました。
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 ディスカッションでの主な論点は、途上国では自然災害に対する事前の準備をすることは困難な面があり、いかに防災の意識を高めるかが課題であること、国民に自然災害のリスクを伝達することが重要であること、財政・金融面で災害の準備をしておくことが重要であることなどでした。最後に、下地防災担当大臣からのスピーチで閉会となりました。




 第2会場では、「国際協力における防災の主流化に向けた課題」をテーマに、まずディオップ世銀副総裁による冒頭スピーチに続いて議論がなされました。パネリストは石井地球環境ファシリティ(GEF)CEO、キリバスのオノリオ副大統領、ハイチのスレナ防災担当アドバイザー、英国のアンダーソン国際開発省(DFID)局長、米国のリンドバーグ国際開発庁(USAID)局長です。
 ディスカッションでの主な論点は、国際社会が途上国支援において、いかに防災の観点を織り込んでいくかが課題であること、ドナー国と途上国との協調が重要であること、防災と気候変動への対応は、将来のリスクに対応するために連携が可能であること、自然災害への事前の備えの重要性の認識は共有されているが、実際の開発計画の中でどのように実現するかが課題であること、コミュニティレベルでの能力向上が必要であることなどでした。最後にワルストロム国連国際防災戦略事務局(UNISDR)代表からのスピーチで閉会となりました。

 その夜の財務省・世銀主催のレセプションでは、大久保財務副大臣やモヒルディン世銀専務理事による開会スピーチ、村井宮城県知事のスピーチ(副知事代読)のあと和やかに歓談の輪が広がりました。東北地方の地酒などが振舞われ、中塚大臣や下地大臣を始め、世銀の幹部、各国代表など内外の関係者が、会場の随所で名刺交換や懇談をする光景が見られました。

 会合2日目の10日は、午前中から2時間ほどのスケジュールで各国閣僚レベルによる被災地視察が行われました。城島財務大臣、キム世銀総裁、ラガルドIMF専務理事、各国の閣僚級が参加されました。

 震災前の防災の取組み、被災時の状況を説明するとともに、震災から1年半を経て、当初の震災の被害を地元が乗り越えて復興してきた様子を視察いただくことにより、防災(災害に対する事前の備え)の重要性をご理解いただくことが目的です。80人程度の参加者がバス2台に分乗して仙台市内の被災地に向かいました。
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 最初の視察先は、仙台市立荒浜小学校です。震災直後、同小学校の児童に加え近隣の地域住民も4階建ての校舎に避難しました。視察では、まず川村孝男同校校長から、(1)学校における防災の取組み(震災前に耐震工事を完了、防災用毛布が津波により流されないように体育館から校舎の高い場所に保管するなど防災計画を見直していたこと、地震直後に校庭に集合してから屋上に避難する経路から地震後直ちに屋上に避難する経路に見直しを行っていたことなど)、(2)被災直後の避難の様子やヘリコプター救助の様子などが説明されました。


 キム世銀総裁から「児童たちの心の様子はどうか」という質問があり、川村校長から「津波の衝撃と深い悲しみにより将来に対する希望が見出せない状態。厳しい環境が続いているが、将来に希望が持てるような状況を作ってあげたい」との答えがありました。また「仮に津波の1週間前に戻れるとしたら何をするか」との別の参加者からの質問には、「すぐには答えにくいが、おそらく同じことをして児童と地域住民を守ろうとすると思う」との答えでした。

 次の視察先は、海岸公園冒険広場です。公園内を一望できる高台で、仙台市職員から隣接する震災廃棄物処理場(震災以前は馬術場などとして利用)における震災がれき等の処理フローの説明がありました。仙台市全体の震災廃棄物は135万トンあり、処理には3年を要する見込みですが、この処理場では、がれきをコンクリートくず、木くず、金属くず、廃家電品、自動車等、10種類以上に分別をし、50%以上のリサイクル率を目指しているそうです。また、石巻市等の近隣市町村の震災廃棄物の受入れも行っています。
 被災地視察は参加者に大きな印象を残した模様であり、この後の総括セッションなどでも言及されていました。

 ホテルに戻った後、仙台会合の総括セッションが行われました。まず、城島財務大臣による開会スピーチでは、防災の重要性、我が国が震災で得た教訓、防災の主流化へ向けた我が国の取組みなどに言及された後、「我が国は、防災に関する経験を踏まえつつ、地震等自然災害に強い建造物の構築や都市計画の作成、耐震基準の制定・整備、予警報システム等の技術やノウハウ、それらを支える人材を生かし、世銀等と協力して、途上国への支援を行っていく」との表明がなされました。
 この後、日本政府が作成した震災復興ビデオが上映されました。震災の悲惨さとそこから力強く復興していく日本の様子を紹介する内容です。
 パネルディスカッションでは、英国BBCのキャスターであるゴーウィング氏をモデレーターに、ラガルドIMF専務理事、ジブチのデワレ経済・財務・産業計画大臣、モロッコのブリフ総務大臣、黒田アジア開発銀行総裁、ゲオルギエヴァ欧州委員(国際協力等担当)をパネリストに討論が行われ、災害に脆弱な国々を災害に強い社会に作り変えるため、技術協力や資金支援を提供するとのコミットメントを再確認しました。
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 最後に、キム世銀総裁による閉会スピーチがなされました。その中でキム総裁は「我々には防災の文化が必要だ。いかなる国も災害リスクから完全に逃れることはできないが、軽減することはできる。より適切な計画立案は、災害の損害、ひいては人命の損失の軽減に役立つ。防災にコストをかける方が災害救助や緊急対応よりもはるかに合理的である」と述べました。
 この後、写真撮影が行われ、また、記者会見(城島財務大臣とキム世銀総裁)の中で仙台ステートメントが発表されました。
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 今回の仙台会合においては、40カ国、8機関、内外から320人の参加があり、2日間にわたり熱心な議論がなされました。仙台ステートメントにもあるように、貧困削減および持続可能な成長のためには、開発のあらゆる側面で防災の観点を取り込むことが喫緊の課題であり、合理的であるという仙台会合のメッセージが届けられて、国際社会のあらゆるステークホルダー、政府機関、そして人々の理解を深める努力がなされることを念じたいと思います。

2012.10.4


 震災からの復興に当たっては、災害に強い地域づくりや地域における暮らしの再生とともに、地域経済活動の再生が不可欠です。震災を契機に産業の空洞化が懸念されるところですが、東北での産業再生、とりわけ国内における将来の雇用を支える高付加価値の成長分野での取組みには産学官の連携が求められています。

 東北大学は、「実学尊重」の精神のもと、応用を視野に入れた企業との共同研究で様々な成果を上げるとともに、戦前からいち早く大学発のベンチャー企業を設立して地域産業の育成を図ってきました。本多光太郎(KS鋼)や八木秀次(八木アンテナ)という歴史に名を残す研究者をご存知の方も多いと思います。

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 仙台市泉区にある「(株)メムス・コア」もそうした東北大学発の企業の一つです。社名にあるMEMS(Micro Electro Mechanical Systems:微小電気機械システム)とは、マイクロ・マシニング(微細加工)の技術によって半導体集積回路上にセンサーや微小アクチュエータ(運動機構)などの異なった要素を融合させて付加価値を高める機械システムのことです。プリンターヘッド、自動車の横滑り防止やエアバッグ、携帯電話やゲーム機等で使われるジャイロセンサーやカメラの手振れ防止など、幅広い分野における多様な製品の高付加価値化を支えています。

 メムス・コアは、この分野での権威で文部科学大臣賞を受賞(2004年)されている東北大学の江刺正喜教授と、半導体産業出身の技術者である本間孝治氏(同社社長)や小切間正彦氏(同専務)等により2001年に設立されました。MEMSの設計、開発、試作、少量生産までを手がける同社は、リタイヤエンジニアを採用したり、中古の工場・設備を活用して投資負担を抑える等しながら、市場の拡大とともに順調に売り上げを伸ばします。しかし、リーマンショックにより受注が激減し、遂には減資を余儀なくされる程の厳しい時期を迎えます。赤字が続き、キャッシュフローも不足して運転資金にも事欠く状態の中、日本政策金融公庫(本店)から融資が受けられて助かったとのことでした。その後、大手メーカーがリストラの一環としてMEMS部門から相次ぎ撤退する環境の下、逆に同社には内外からの受託研究などの受注が増え、再び業績は回復します。
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 東日本大震災では同社の施設自体には大きな被害はありませんでしたが、地域の産業活動全体が停滞を余儀なくされる中で再び厳しい数ヶ月を経験します。しかし「この時期の逆境を経験することで社員に危機感が芽生えて、かえって会社としての団結力が強まった」と本間社長は言います。本年度は黒字回復する見込みであり、今後は自動車の電子化が進むことなどでMEMSの需要が更に大きくなるものと期待されています。



 これからがベンチャーの飛躍的成長期と期する同社は、中・大量生産まで事業を進めるべく生産ラインの拡充を計画していますが、国内の金融機関は政府系ファンドも含め新たな出資には及び腰です。他方、中国や韓国の財閥系企業からは買収に近い形の出資の申し出があるとのこと。本間社長は「会社の成長だけを考えればその提案に乗ることも考えられるが、日本の産業全体で考えた場合、本当にそれでいいのか」と考えあぐねておられるようです。「日本のファンドは政府系を含めて確実なリターンを求めてくるが、それではベンチャーは育たない。自分は米国でもベンチャーを立ち上げた経験があるが、米国との大きな違いはそこにある」
 国内大手メーカーがMEMS部門から撤退していることについても「短期的には外部のサプライヤーに発注することが安上がりかもしれないが、それでは本当にオリジナルな開発はできないのではないか」と小切間専務も疑問を呈します。
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 本社工場を見学させていただくと、半導体の工場でよく見かけるクリーンルームが並んでいましたが、その一角に江刺研究所の分室が区切られていて産学連携の実践を目の当たりにしました。江刺研究所の研究者とメムス・コアのメンバーは同社と東北大キャンパスを往復する日々だそうです。MEMSデバイスの開発には当然ながら加工装置の内製化も必要となるため、工場内は研究室と工場がミックスされた、付加価値の高いモノづくりの最前線といった印象でした。  東北発のベンチャーが大きく羽ばたく姿を是非見たいものです。






 さて、前回(10月1日)の日記の中で宮城県石巻市雄勝町の水産業再生の話題に触れましたが、奇しくも同日、JR東京駅の赤レンガ駅舎の全面開業のニュースに接しました。雄勝町は硯石や瓦などに使われる雄勝石の産地でもあります。リニューアルした東京駅のドーム型の屋根には津波に見舞われながらも奇跡的に無事だった雄勝石の天然スレートが使われています。また、丸の内南口地下改札脇には同じく雄勝石天然スレートを使った壁画(富士山と満天の星空)が設置されています。地元の小中学生が雄勝地区再生の願いを込めて作成したそうです。東北復興のシンボルとして永久展示されるとのことですので、是非多くの方に東京駅に足を運んでいただきたいと願っています。

2012.10.1


 東日本大震災からの復興には産業の再生が不可欠の課題です。特に津波被災にあった沿岸部にとっては、東北の魅力である食の豊かさを支える拠点であるとともに、人々の雇用の場でもある水産業および水産加工業の一日も早い復活が望まれています。

 宮城県石巻市雄勝町は美しいリアス式海岸に面しており、昔から牡蠣やホタテ、銀鮭などの養殖が盛んな町でした。震災後ここで設立された「オーガッツ」(この9月に合同会社から株式会社に転換)は、地元の漁業関係者が集まりこれまでにない新しい漁業に挑んでいます。
 その中心で同社の代表取締役を務める伊藤浩光氏の目には、震災以前から従来の漁業が複雑な流通システムによって「漁師にとって実入りの少ない、魅力に乏しい」産業だと映っていたようです。オーガッツが目指すのは、生産だけでなく加工、販売までのプロセスを自分たちで担う「6次産業化」です。消費者と直接結びつく流通の仕組みを作り、「雄勝の水産物のブランド化とそれによる出荷価格の底上げを図り、漁師に還元する」ことを狙いとしています。

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 雄勝町も震災によって壊滅的な打撃を受けました。伊藤氏自身も「家財は全て、運転免許証まで流されていっそ逃げようかと思った」と冗談めかして語られますが、やはり新しい漁業への挑戦を続けるべく、漁師以外からも主に販路開拓と広報を担当する立花貴氏らのメンバーを加え、会社をつくり再出発をされます。国からのグループ補助金と県の制度資金を活用して、牡蠣の加工施設などを建設する一方で、漁業体験を観光の目玉とする漁業ツーリズムなど様々な試みによりオーガッツの知名度アップを図っています。食品営業を営むための許可なども既に保健所から取得済みのようです。

 宮城県の村井知事は「水産業復興特区構想」を推進していて、オーガッツはこれとは別の動きですが、「目指すところは同じ」だと伊藤氏は語ります。高齢化が進む沿岸部にあって震災により人口減少が更に進み、旧来のシステムのままでは漁業そのものが消滅してしまうとの危機感があります。保守的な考え方の強い雄勝町にあっては、オーガッツに加わろうとする漁師はまだ少数ですが、6次産業化によって収益が増えることが分かれば自然と賛同者は増えると期待しています。
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 雄勝湾は川からの流入が無い代わりに海底からの湧き水があり、かつ水深があって海水温が低いところがあるため牡蠣の放卵時期を遅らせることができるとのこと。それにより夏にも牡蠣を出荷することが可能となります。湾にはいわゆる養殖筏はなく、通常は外洋で見られる延縄式垂下養殖施設が設置されているのに気づきました。「まだ知られていないだけ。雄勝の海は間違いなくブランド化できる」伊藤氏の力強い言葉に水産業の6次産業化実現の可能性を感じました。



 石巻市中心部にある石巻漁港は全国でも有数の水揚げがあり、港近くには多くの水産加工業者が軒を並べていましたが、ここでも津波と地盤沈下が襲います。大手の加工業者である「大興水産(株)」はいち早く再出発を図ります。国のグループ補助金が大きな支えとなるのはオーガッツと同様ですが、同社の場合、他社の多くが従来の施設の再現にとどまる中にあって、規模は変わらないながら同時に生産性の大幅な増強となるような加工システムの合理化・効率化と徹底した衛生管理の実現を図った点が特徴です。
 全ての施設が流され、そこで働く従業員は一時的な休職を余儀なくされましたが、早期の再開業を期していた大塚敏夫社長は「解雇は一切しなかった」と熱く語ります。それでも、別の町に避難を余儀なくされた従業員の中には復帰ができない方もいるようで、戻ってこられた従業員は6割程度だとのこと。システムの効率化を実現することによってマンパワーの減少は何とか補える見込みですが、来春の女性新卒者の採用も決まっているとのことでした。「若手の女性を採用するには魚くさい工場ではだめ」と笑いながら語られますが、衛生管理の徹底は近年の欧州の漁業の復権の鍵がそこにあると確信した大塚社長の確固たる経営方針のようです。
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 程なく工場が完成し本格稼動の予定ですが、消費地でなお残る風評被害が心配とのことでした。また従来から売り上げの多くが輸出による同社にあっては、近隣諸国との外交が早く信頼関係を取り戻すことを願っておられました。






 いずれにせよ、これから石巻の水産加工業はいよいよ復旧復興のテンポが増してきそうで、現在は被災の少ない他の漁港に回っている水揚げ量の回復も期待できます。石巻に往時の賑わいが戻る日の近いことを楽しみに待ちたいと思います。

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