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東北再出発応援日記バックナンバー

北村東北財務局長
 東北財務局長の北村です。
 これから多くの方の声をお聞きし、試行錯誤しながらも我々の役割、我々にできることは何かをたえず考えながら全力で取り組んで参ります。

2012.12.26


 秋田県は昔から米どころとして知られてきました。秋田県の総人口、県内総生産、就業者数の全国比がともに0.8%であるのに対し、農業産出額の全国比は1.8%であり、その農業産出額の52.5%が米で占められています。寒冷地である東北の中でも太平洋側に比べ、冷害なども少なく、昔から地味豊かな土地だったということでしょう。 東北は今後とも食料供給基地としての役割を期待されており、秋田県もその中心的な位置を占めるとともに、6次産業化により秋田の食の魅力をさらに強化して県内各地を活性化していってほしいと願います。

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 6次産業化と並んで、東北復興の柱として期待されているのが再生可能エネルギーの開発です。風力、地熱などに恵まれた秋田は、これまでもこの分野では先導的な役割を果たしてきましたが、本年7月からの再生可能エネルギーの固定価格買取制度のスタートにより、多くの新規計画が発表され、地元金融機関が融資・出資やファンド設立という形で積極的に後押ししようとしているほか、地元企業や地元資本が関与した案件が増えています。



その一つである(株)ウェンティ・ジャパンは、本年9月に秋田市にできた風力発電会社です。「ウェンティ(VENTI)」とは古典ラテン語で「風」を意味します。(因みにスペイン語ではVIENTO)

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 地元の空調設備会社である羽後設備、札幌市に拠点を置き既に全国で14基の風車を運営する市民風力発電、北都銀行(秋田市)の持ち株会社フィデアホールディングス(仙台市)の出資によって設立された当社は、秋田県内を中心に山形県、青森県も含め2015年度までに30基の風力発電施設を建設し、一般家庭3万7,500世帯分をまかなうことができる年間発電量1億3,500万キロワット時を供給する計画です。既に秋田市向浜で1号機が着工しているようです。先日ご報告した山形県酒田港周辺でも風車が林立していましたが、東北の日本海側は風資源に恵まれていることに加え、海岸線に沿って幅広く防風林が形成されているため、風力発電施設設置の適地でもあります。林野庁が保安林指定を解除してくれたことも事業展開の後押しとなったようです。

 風車1基を作るのには約5億円かかるため、当社の場合3年間で150億円の初期投資が必要となります。当社の代表取締役社長である佐藤裕之氏は「地方企業にとっては膨大な投資案件なので、様々な支援を集めたい」とのこと。この観点からは、これまでメガバンクが中心であったこの分野に地域銀行が参画することの意義は大きいと考えます。
 佐藤社長のお話によれば「当面、風車本体は国内外の大手メーカーから購入するが、いずれは部品を自力で作ることも視野に置く」とのこと。これまで県内に建設された100基を超える風車の場合、維持・補修、部品の生産は国内外の大手メーカーとその関連会社がほぼ独占しており、地元には施設に係る固定資産税などの税収が入る以外に地元経済への波及効果は期待できなかったとの見方もあります。佐藤社長のお話によれば、「風車の部品は必ずしもハイテクなものばかりではなく、風力発電施設に関連する機械部品の製造や電力管理のための情報処理事業など周辺産業の地元での創出・育成・集積が可能」との考えです。こうした構想に賛同してくれそうな北欧の風力メーカーとの協議も進めておられるようです。
 来春までに秋田県や秋田大学などと研究開発のためのコンソーシアムをつくり、将来は「メイドイン秋田」の風車を目指したいとのこと。風力発電事業を展開することにより秋田の産業振興に貢献したいという関係者の熱意が実を結ぶことを応援したいと思います。

 さて、使用済みの家電やパソコン、携帯電話に含まれる貴金属やレアメタル(希少金属)の回収・再利用は「都市鉱山」と呼ばれ、日本の資源戦略の一つです。
 秋田県北部地域は、かつての鉱山技術を活かした高度な製錬技術や施設を有し、金属リサイクル関連産業が集積する国内最先端の地域です。現在はDOWAグループの子会社、関連会社が大館市、秋田市、小坂町に集積しています。


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 小坂製錬(株)はその中軸として、現在では廃家電機器に含まれる貴金属やレアメタルの回収・再利用をビジネスとして確立している日本で唯一の複合リサイクル製錬の会社です。
 当社の関口明代表取締役社長にお話を伺いました。小坂製錬所はもともと鉱山と一体化した製錬所で、「黒鉱」と呼ばれる様々な金属を含んだ鉱石の製錬で100年以上の歴史を有します。黒鉱は、金、銀が多く含まれているものの、不純物も多く抽出が難しい鉱石。これら貴金属の採取には高い技術が必要となり、当社はこの黒鉱を製錬してきたことで高い技術を駆使した製錬法を確立してきたようです。

 しかし、1985年のプラザ合意以降、円高が進み、抽出した金属の値段がドルベースで決まるため、採算が取れずに1994年に小坂鉱山は閉山となります。当社は原料を得られる鉱山を失い、海外からの輸入にしても海から遠いというハンディがあったため、生き残りをかけ、生産規模を縮小したうえで、原材料をリサイクル原料に切り替えます。リサイクル原料とは、主として廃棄パソコンや携帯電話の基板です。今までに培った高い製錬技術を活かし、そうした電子基板から貴金属など非鉄金属を回収することが可能となりました。
 2008年には、廃家電の基板や自動車の破砕などリサイクル原料の多様化に対応を強化した新型の製錬炉を開発、稼働させています。従来の炉が鉱石中の硫黄分などを燃料とする自熔炉だったのに対し、新型炉は燃料に粉末状の石炭を使用し、酸素を送り込んで燃焼させるため、技術的には原料をリサイクル原料だけにすることも可能とのこと。
 当社の主たる業務目的は銅、金、銀の製錬ですが、昨今の資源高の影響で採算が取れるようになり、昨年からスズ、ニッケルもメタル化して売却しています。DOWAグループ会社間で中間半製品を流通させ、各会社で有価金属の製品化を行っているとのことで、グループ全体ではレアメタルを含む20種類の有価金属を製品化しているとのことでした。明治時代の藤田組(DOWAの前身)以来の歴史が、こうした複合リサイクルシステムを可能にしたといえます。
 関口社長のお話では、東日本大震災の際には、電力供給が一時途絶し、供給開始後も一週間を超える供給の確約が取れなかったこと(当社の設備は連続稼働しないと非効率なうえ、川上部門から順に立ち上げる必要があり設備全体が稼働するまで2~3週間かかる)と余震の影響もあって、完全復旧は4月下旬となりますが、自家発電設備を持っていたため、公害防止など安全面からの保安操業は継続できたとのことでした。
 リサイクル製錬の原料となる廃家電の基板の9割は海外からの輸入です。国内では携帯電話等の小型家電が家電リサイクル法の対象外であり、基板のリサイクルシステムがうまく構築されていないために総量が足りないようです。また、「近隣国は環境問題など関係なしに不必要な材料は捨てるなどしているために加工費が安く収まるが、当社は環境に配慮したシステムを構築したうえでの加工費なのでフェアな競争ではない」と関口社長は嘆いておられました。
 昨年末に大館市、能代市、小坂町、秋田市が地域活性化総合特区の一つとして「レアメタル等リサイクル資源特区」に指定され、廃棄物の広域収集が可能となる特例措置(県が指定する特定収集運搬業者は市町村の許可を要しない、使用済み家電の処理を委託する市町村は受け入れ先市町村への通知等の手続きを要しない等)が講じられています。本特区の効果も相まって、この地域が全国に先駆けて、レアメタル等の金属資源などの集約・供給機能を向上させることにより、我が国の資源確保戦略と地域の活性化の両立が図られることを期待したいと思います。

 大館市にある東光鉄工(株)は、各種鋼構造物、産業機械などの設計製作などを手掛ける会社ですが、特に大型デッキプレートと呼ばれる凹凸状の金属板をアーチ状に加工した「TOKOドーム」が、南極昭和基地の保管庫として採用され、有名です。

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 東京亀戸で先代が創業した当社が大館に移ってきたのは戦時中の疎開ですが、当地で成長するきっかけは、やはり昭和30年代の「黒鉱」ブームでした。当社の虻川東雄代表取締役会長のお話によれば、当時の日本鉱業から国鉄が払い下げたレールを坑道の抗枠用に加工するよう求められ、他社が技術的に追いつかず離脱する中、当社だけが最後まで残り要求に応えたのが鉱山関係事業の始まりだそうです。この際の技術が評価され、のちに同和鉱業(現DOWA)や三菱金属鉱業からも受注をもらい、最大時には売上の70%が鉱山関係だったとのことです。

 円高が進み、この地域の鉱山が次々と閉山に追い込まれますが、それよりも前に、取引先の課長から「鉱山は掘ればなくなる。今のうちに東京で顧客開拓しておくべき」と言われ準備していたお蔭で、閉山後、主に鉄道の複線化と新幹線工事で業績を伸ばしたそうです。さらに鉄枠技術を活かしたトンネルや高速道路、ダム工事等もこれに加わります。
 TOKOドームは、軽量で高強度、柱や梁が不要なため内部空間が広く、設置・撤去が容易で施工期間が短くて済むため仮設構造物に向いており、シャープ堺工場建設時は仮設工場としても使われたそうです。
 南極昭和基地に保管庫を納めた経緯から、南極へは当社社員がメンテナンス要員として何度も派遣されています。
 また、各地の原子力発電所の工事現場でも活用されていますが、虻川会長は、原発事故後の対応にも当社の技術が貢献できるのではないかと考え、JFE建材と共同で、TOKOドームをベースに、デッキプレートを二層構造とし、プレートとプレートの間に土やコンクリートを充填することで放射線の遮蔽効果を高めた保管ドームを開発。除染廃棄物などの安全な保管処理施設として採用してもらうべく、大手ゼネコンに働きかけておられるようです。
 虻川会長は「好きこそものの上手なれ」の精神で様々な事業を展開しておられ、畜ふんを処理した有機肥料として液体の「活性白神水」を販売するほか、最近空き工場での野菜の水耕栽培が増えていることに着目して同分野への参入も進めておられるようです。

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 当社が手掛けた建造物の一つに大館市にある「樹海ドーム」があります。秋田杉と当社の技術を併用した見事な和製ドームであり、野球などのスポーツをはじめ、地域のイベント会場としても利用されているようです。大館商工会議所会頭でもある虻川会長は「県内企業にはそれなりの技術があるが、難しいのはその技術を応用し事業として育てること。当社としても応援したい」と語り、地域の活性化を願っておられました。
 

2012.12.17


 青森県は食の豊かなところです。リンゴ、ホタテ、しじみ、長いも、ごぼう、ニンニク、それから大間のマグロなど。その中で、弘前市を中心とする津軽地方はリンゴの生産量日本一を誇ります。地元の人に言わせれば「この辺りでは、リンゴは自分で買わなくてもどこからか回ってくる」そうで、市場に出回る高級リンゴの質と価格を維持しながら、そうしたGDPに反映されない豊かさを皆で享受している地域の姿をうらやましく感じました。
 葛西憲之・弘前市長は「経営型」行政を目指し、観光、農業施策を積極的に展開しておられます。弘前市は戦災を免れていて、桜の名所でもある弘前城をはじめとした文化遺産や後背地にある白神山地などの自然遺産に恵まれた文化都市でもあります。新幹線の函館延伸を見据え、観光を核とした地域経済活性化を実現するため、みちのく銀行や函館・弘前商工会議所が中心となって「津軽海峡観光クラスター会議」を立ち上げており、弘前市としても広域的な観光戦略を練っておられるようです。農業では、台湾向けに輸出が好調なリンゴに話題が及ぶと「付加価値の高い、個性的なシードルを求めて、フランスまで視察に行った」とのことです。「弘前大学を卒業した若者が引き続きここに住みたいと思えるような街にしていきたい」と語られる葛西市長は意気軒昂でした。

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 青森市にある(株)角弘は、明治16年、津軽藩最後の国家老で青森銀行の前身第五十九銀行の創設者でもあった大道寺族之助繁禎が出資を呼び掛けて設立した農具販売会社が始まりで、今では土木、建築、鉄鋼、石油など幅広い分野を手掛ける地元商社ですが、最近力を入れているのが「プロテオグリカン」の開発・量産です。




 プロテオグリカンとは、タンパク質と糖鎖が共有結合した複合糖質の一種です。よく耳にするコラーゲンやヒアルロン酸とならぶ動物の軟骨の主成分でもあり、それら従来から利用されてきた糖鎖類をはるかに上回る大きな可能性を持つことは研究者の間で知られていたのですが、研究をしたくても素材を抽出することが容易ではなく、そのため試薬自体が大変高価なためにこれまであまり知られてきませんでした。
 プロテオグリカンは従来、牛の気管軟骨、ブタ皮、ニワトリの鶏冠(とさか)から複雑な抽出・精製過程を経て得られており極めて高価なものでしたが、牛のBSE(狂牛病)、鳥インフルエンザなどの病気が社会問題となり、使用が難しくなりました。
 そこで着目されたのがサケでした。サケの頭部にある「氷頭(ひず)」と呼ばれる鼻軟骨には豊富にプロテオグリカンが存在するのです。
 弘前大学は日本の糖質・糖鎖の先進研究で知られています。そこでプロテオグリカンを研究していた高垣啓一教授(故人)は、当地の正月料理「サケの氷頭なます」に箸をつけた時に、酢に漬けた氷頭が柔らかくなっていることから酢酸にプロテオグリカンを抽出する力があるかもしれないと思いつきます。1998年に高垣教授が発表した、酢酸を使ったサケ鼻軟骨プロテオグリカンの抽出実験の途中経過が県内で大きな注目を集め、角弘との共同開発がスタートすることになります。そして2000年、ついに人体に安全な食用酢酸とアルコール(エタノール)だけを使い、サケ鼻軟骨から高純度のプロテオグリカンを大量に取り出す精製技術が確立したのです。生産コストは従来の100分の1以下となりました。と同時にヒトでの試用にも使える安全性の高いプロテオグリカンの誕生でした。この画期的な発明は日本だけでなく、サケの主産国である米国、ロシアでも特許を取得しています。
 角弘では素材メーカーである一丸ファルコス(株)と共同で、化粧品原料素材と美容・健康食品素材としてのプロテオグリカンの製造販売に取り組んでいます。また角弘ではプロテオグリカン配合のりんご酢の販売も手掛けています。
 弘前の地での産学官連携により量産化が軌道に乗ったプロテオグリカンが、コラーゲン、ヒアルロン酸に代わる新素材として様々な分野で活用されるニュースを楽しみに待ちたいと思います。

 青森県は白神山地や八甲田山など日本一のブナ蓄積量を誇ります。このブナを活かした付加価値の高い製品「ブナコ」を生み出しているのが、弘前市にあるブナコ漆器製造(株)です。ブナコは、地元のブナ材を厚さ1mmほどの薄いテープ状に加工し、それをコイル状に巻いて成型するという製法(ブナ薄板積層技術)により作られる木工製品です。水を多く吸い込むブナは、建築などでの構造材としては一般的に使われません。その弱点を逆手にとり、デザイン性の高いインテリア商品に着目した点がブナコの特徴です。

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 作業場で実際にブナコ作りに挑戦させていただきました。バウムクーヘンのように巻き上げられた板を、湯呑み茶碗を使って少しずつずらして立体的な器の形を作っていくと、(自作の出来はともかく)この製法の素晴らしさが実感できます。
 当社の代表取締役である倉田昌直氏にお話を伺うと、従来有名百貨店の食器用漆器を中心に事業を行っていたそうですが、バブル崩壊後の1996年頃から急激に業績が厳しくなります。不景気に加え、百貨店本体がネット販売や郊外型店舗に顧客を奪われていったことが背景にあるようです。2001年には赤字転落寸前の状態となり、倉田社長は弟さんの前で「もう、ダメだ」と弱音を吐いたそうです。その時弟さんから「限界は兄貴の心の中にあるんじゃないか」との思いがけない言葉を返され、自分の中で限界を作っていたことに気付いたそうです。
 ちょうどその頃、インテリア照明器具を作ってくれとの個別注文が相次ぎます。取り組んでみると、きれいな曲線を描き、薄板の透過性(光を当てると赤く光る)が活かされた作品に仕上がりました。直感的に「これはいける」と思い、02年に会社の生き残りをかけて、それまでの売上の75%を占める食器用への依存からの脱却を目指します。倉田社長は自ら率先して各地の展示会に積極的に参加します。
 03年にオープンした六本木ヒルズのとらやカフェで照明と食器が採用されます。04年から05年にかけ、表参道や代官山、自由が丘のショップの店頭に並ぶようになり、インテリア雑誌にも頻繁に取り上げられ、ブナコは一躍全国区になります。06年には商品別の売上でもインテリア用が食器用を逆転し、見事に経営転換が実現しました。
 弘前市の中心部にある当社のショールームで色々な製品を見せていただきました。スターバックスコーヒーの店内照明、パークハイアットホテル東京のダストボックス、コンラッドホテル東京のスパで使われるフットバスに始まり、各地のショップで好評のティッシュボックス、本年1月のパリでのインテリア国際見本市で評判となったオーディオ用高品質スピーカー「Faggio(イタリア語でブナ)」に至るまで、これまでの漆器の概念を壊す用途の幅広さに驚きますが、そのいずれもが曲線美の醸し出す優雅さと高級感を漂わせています。グッドデザイン賞を受賞し、フランス、イタリア、英国といった国々で高い評価を受けていることが頷けます。

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 ブナコを在来の挽き物(木の立方体を削る手法)と比べると木材の使用量に格段の差がありますが、環境との共生が課題となっている今の時代にはそのエコロジカルな価値も評価のポイントなのかもしれません。
 BUNACOのブランド名で世界のインテリア界に知られるようになった当社の製品に次はどこでお目にかかれるか、楽しみになりました。




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 弘前市にはもう一つ世界的な評価を勝ち得ている、テフコ青森(株)という会社があります。 アナログ式腕時計の文字盤に貼り付ける数字を時字(ときじ)と呼ぶそうです。テフコ青森は、電気分解形成法の応用で生み出された高級時計の時字や、液晶テレビ等の家電製品、自動車のエンブレムを製造し、世界に向けて販売するグローバルメーカーです。特に当社の時字は、オンリーワン技術としてスイスの高級時計の8割で採用されています。 


 東日本大震災により、東北道が一時通行止めになった時期でも、毎日青森空港から羽田空港経由でドイツやスイスに製品を納品してきたそうです。
 当社の創業者であり、現在、取締役会長である中山廣男氏はもともと大手商社の出身で、入社10年目で神奈川県内の電気鋳造の技術に強いメーカーに転じます。バブル経済の初期に取引先である国内大手時計メーカーの担当者から相談を受けます。腕時計の文字盤の細かい植字作業は従来、一つ一つピンセットで行う手作業でした。その担い手の女工さん達が高齢化して作業が衰退してしまうというものでした。中山氏は、1から12までの数字がきれいに円形に並んだ金属製時字の転写シールをつくり、文字盤にそのシールを貼って剥がすと、時字以外の部分だけがきれいに剥がれるという仕組みを考案し、会社に提案したそうですが、時は未曽有の好景気で、会社はネームプレート製造をはじめとした事業が順調で中山氏の提案に対する反応は鈍かったとのことです。中山氏は独立する決意を固め、郷里の弘前市で1988年、当社を設立します。
 理論的には、中山氏の頭の中でかなりの程度完成していた技術でしたが、開発には2年を要し、借金は2億4,000万円にまで膨らみます。「もう死のうかと、何度考えたことか」と中山会長は笑いながら話されますが、苦労の甲斐あって技術は完成します。従来熟練工でも一つの文字盤に10分程度かかっていた作業がわずか5~10秒に短縮しました。生産性が上がっただけではなく、時字が金属製(メッキ)のため光沢があって高級感が出ます。それに剥がれにくいし、多様で細かいデザインにも対応できるなどのメリットもあり、技術的に極めて高度な転写シールの実現でした。
 中山氏は、商社時代から特許の重要性を認識しておられ、テフコ青森創業時の財政状況が火の車であったころから、たとえ費用がかかっても特許出願は欠かさなかったそうです。現在では国内外で23件の特許を有するまでになりました。1990年代半ば、特許が登録されたころから、海外高級時計メーカーからの注文が増加します。これらメーカーはテフコ青森の技術を高く評価しているだけでなく、それが特許で保護されているからこそ、安心して発注し始めたとのことです。高級時計に模倣品があってはならないというわけです。こうした特許戦略が奏功し売り上げは順調に伸び続け、97年には累積赤字を一掃します。
 その後、時字の技術を知った家電メーカーが、家電のロゴにも応用できないかと話を持ちかけてきて、当社で開発の結果、2002年に0.5ミリに満たない極薄で金属光沢のあるフィルム状プレートを開発。大きな反響があり、家電製品のみならず携帯電話、国内外の自動車、メガネフレームにも採用されます。
 中山会長は「ターゲットはあくまでも高級品だけ。利益が出るものでも量産品には手を出さない。価格で絶対競争するな、がポリシー。付加価値が高い製品であることを認めてくれた顧客だけに販売し、適正な利益をいただくことにしている」と明言されます。
 また、「近隣国の模倣は目に余るが、現在商品化しているものは過去の技術であり、模倣されても仕方ない。それよりも、絶対マネできない新たな高付加価値商品の開発に重点を置いている」とも述べられています。
 以上のとおり、当社は世界の市場を相手にする企業ですが、すべての製品を弘前市で製造しています。自社技術の海外流出防止が大きな目的で、海外での生産要請はすべて断ってきたそうです。
 2007年に中山氏が記した「創業20年の私の経営理念」の中で、会社の究極の目的は何なのかと問われたら「新しい製品を創る」ことだと答える、とあります。弘前を拠点に、世界を相手にするテフコ青森の挑戦は続きます。

 2012.12.10


 岩手県は今回の震災において、沿岸部を中心に地震、津波による大きな被害を受けました。陸前高田市は、海に向かって比較的開けた平地にあった市街地が津波によって根こそぎ流されてしまったという印象を受けます。「奇跡の一本松」が残されたことが文字通り奇跡のように思えます。
 陸前高田市の復興計画によれば、(1)旧来の防潮堤の内側に高さ3mの第一線堤と高さ12.5mの第二線堤を築く、(2)市街地は鉄道(JR大船渡線)を含め山側に移動させ、8~10m地盤を嵩上げした上でコンパクトなエリアに集約する、(3)住宅は更に高台に土地を造成して移転する、といった内容の新たな街づくりを目指すことになっています。 山際に建てられた臨時の市庁舎でお会いした戸羽太市長のお話では「市役所の位置を街の中心(市街地)にすべきか、高台にすべきかで市民の意見が割れている」とのことで、苦悩されておられました。また「街づくりには更に4~5年かかる。国には復興に時間がかかる自治体が不利にならないような配慮をお願いしたい」とのご要請があり、しっかり霞ヶ関につなぐとお答えしました。 陸前高田の住民の方々には忍耐の日々が続きます。復興計画が目指す「海と緑と太陽との共生・海浜新都市」の再生を見守っていきたいと思います。

 お隣の大船渡市は県内有数の漁港のまちですが、やはり津波によって臨海部の市街地を中心に大きな被害を受けました。それでも市役所をはじめ市街地の奥の方の一部が残ったこと、高台にあった多くの住宅が難を逃れたこと等から、復旧・復興の動きが比較的早いように感じられます。

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  西舘冷蔵(株)は大船渡の水産加工・卸売会社の一つですが、震災では本社2階の天井まで津波が押し寄せ、近くの加工場では巨大冷蔵庫が流出、また別の加工場には漁船が突っ込みました。加えて、新規建設中の冷蔵庫で使われる設備機器の引渡しを受けた直後だったとのことで、それら全てが流されてしまいます。




 当社の武田貞一代表取締役社長と武田保専務のご兄弟は、従業員とともに工場裏の高台に避難し、津波の一部始終を見ていたそうです。さぞや無念だったことと思いますが、津波の引いた社屋を前にして「早く片付けなきゃいかんな」と覚悟を固めます。「長年お世話になった地域と従業員のためにも立ち上がらんと」
 3月20日から従業員総出でがれきを撤去し、散乱した製品の後片付けを行い、本社の壁や床も自ら張り直し、7月には事務所の再開にこぎつけます。幸い高台に建設中だった冷蔵庫が9月に竣工し、事業再開に弾みが付いたようです。
 事業再開後の業況を伺ったところ、「昨年(23年)は被災地支援の後押しもあったせいか順調だったが、今年は不漁のせいもあるが、風評で(主力の)関西・四国方面の売り上げが落ち込んでいる」とのことです。それでも「南米チリ地震後の創業(昭和36年)以来、これまでも山あり谷ありだった。これからもそうだろう。でもなんとかなっぺよ」と明るい声で話す社長と専務のご兄弟を見ていると、大船渡の水産業は大丈夫だと思えてきました。

 さて、東北地方の総生産額の産業別構成比(平成21年)をみると、製造業の割合(16.3%)は全国(17.9%)よりも低い状況にあります。その製造業の主要産業別製造品出荷額をみると、東北地方で最も構成割合が高い業種は食料品等であり(東北18.4%、全国13.0%)、その他電子部品・デバイス(12.5%)、情報通信機械(11.1%)等情報化関連分野は全国(それぞれ5.6%、4.3%)より割合が高いですが、輸送用機械は低くなっています(東北7.0%、全国17.6%)。
 そうした中、東北の復興の牽引役として期待されているのが、自動車関連産業の集積です。東北の自動車産業の推移を輸送用機械の製造品出荷額等(工業統計調査)でみると、関東自動車工業岩手工場が操業開始した平成5年以降、トヨタの部品製造子会社であるトヨタ自動車東北の操業開始や関東自動車のライン増設などにより、平成20年まで製造品出荷額等は増加傾向となっています。平成21年はリーマンショックの影響から減少しますが、翌22年には持ち直し、23年以降は震災の影響はあるものの、セントラル自動車(宮城県大衡村)の操業開始や岩手工場での新型ハイブリッド車(HV)アクアの生産開始などから製造品出荷額は増加するものと見込まれています。今年7月、東北に生産拠点を置くトヨタ系列3社(関東自動車工業、セントラル自動車、トヨタ自動車東北)の合併により、東北は中部、九州に次ぐトヨタグループ第3の拠点と位置づけられたことから、更なる自動車産業の集積が期待されるところです。
 ただし、平成5年と22年を比較した輸送用機械の製造品出荷額等の伸び(増加率120.2%)に比して、付加価値額の伸び(増加率73.3%)は緩やかなものに止まっています。製造品出荷額等に対する付加価値額の割合は平成5年の36.8%から22年は29.0%に下がっています。この要因として、東北に進出する自動車関連企業は増加しているものの、それらの企業への部品納入は域外(中部、関東)の系列企業からの納入が多いためと考えられています。こうした部品納入企業として東北の地元企業がいかに参入を果たしていくかが大きな課題といえます。

東北再出発応援日記12月10日:グラフ


東北再出発応援日記12月10日:画像4
 奥州市にある(株)千田精密工業は、半導体や液晶関連装置、自動車関連部品など精密部品の加工、特にステンレスやアルミなどの非鉄金属の加工に強みを持つ企業です。県内の通信機器メーカーを退職した千田伏二夫氏が当社を立ち上げたのが昭和54年。以来、どんなに難しい加工も断ることなく挑戦し技術を高める一方、「生産集団」ではなく「技術集団」であるとの自負から、単純な加工の注文は大量発注であっても断ってきたとのことです。少量・多品種・高精度の取組みで付加価値の高い仕事を目指してきたということだと理解しました。 



 そうした当社の技術力が開花し全国的に知られるようになったのが、F1レーシングカーのエンジン部品の加工を当社が手がけ、それを搭載したレーシングカーが1999年のフランスグランプリで見事優勝を果たしたことでした。最初、千田社長はF1車のパーツであることを知らないまま、たまたま取引先から「加工が困難な部品があるが作ってみないか」と誘われたことがきっかけだったそうです。小型化、軽量化をギリギリまで競うF1の世界で当社の極めて高度な加工技術が認められた瞬間でした。

東北再出発応援日記12月10日:画像5
 千田社長の新技術への挑戦はその後も続いていて、2005年には国内の中小企業としては初めて「摩擦攪拌接合(FSW)」という技術の国際ライセンスを取得します。これは材料を摩擦熱で可塑化し攪拌することで接合する新しい接合技術で、クリーンで生産性に優れているため自動車、航空機産業等幅広い業種で飛躍的に成長しているようです。FSWを使った実例として、国立天文台の直径3mのパラボラアンテナ用部品を見せてもらいました。




 自動車部品製造との関連では、トヨタの1次サプライヤー企業への金型の製作や修理の案件に取り組んでおられます。自動車関連の売上げは、昔は全体の40%程度を占めた時期もあったが、現在は20%程度とのこと。
 千田社長は社員に対して常に新しい技術の習得・向上を求め、技能検定試験の受験を強く勧めています。そして早く一人前の職人になり独立することを強く奨励しているそうで、これまでに8名が独立したとのことです。「会社はあくまで社員のための器にすぎない。社長や会社は自分の夢を実現するために大いに利用すること」との人づくりの理念はご自身の体験に裏打ちされたもののようです。
 震災に際しての当社の対応も実に注目すべきものです。震災2日目から大槌工場の敷地内にプレハブの避難所を設営し、自宅を失った社員のみならず、停電による暗闇の中で自家発電の明かりを見た近隣の避難者も集まり、最大で80人余りとなります。「避難者への支援とは自分たちの力で生きていく環境を作ってあげること」という千田社長の考えのもと、調理や掃除などの当番を避難者にも割り当て、8月末に全員が仮設住宅に入居するまでの半年間、共同生活での自立を支援したそうです。
 「地域社会に必要とされる企業と社員であることを目指す」と語る千田社長の益々のご活躍を祈念いたします。

東北再出発応援日記12月10日:画像2
 同じく奥州市にある水沢工業(株)は、精密鋳造(ダイカスト)によるアルミニウムやマグネシウム部品製造を手がける会社です。プロ向けの農機具などの産業機械を始め、家電やOA関連部品など幅広い分野での実績があり、本社工場のほかに、メキシコと中国(蘇州)にも工場があります。





東北再出発応援日記12月10日:画像3
 当社代表取締役社長の小西理夫氏にお話を伺ったところ、マグネシウムは燃えやすい特性があり取り扱うダイカスト業者が少ない中、当社はマグネシウムに強く、特に「ストレート抜き」と呼ばれる技術に強みをもつとのこと。また鋳造のための金型は1次サプライヤーの所有物であり、金型さえあれば他の業者でも生産可能で、金型の返還を求められ他社に生産を移管される場合があるが、鋳造に加え加工までやると他社にとられにくくなるとのことでした。 



 東北に自動車関連産業の集積が進む中、最近では当社の出荷製品の約50%を自動車関連部品が占めています。現在はホンダのHV車用のDCコンバーターの放熱器などを量産していますが、トヨタのHV車生産の動きも睨みながら準備を進めておられるようです。8月には本社敷地内に新工場を増設、国(経済産業省)の補助金を活用して、HVや電気自動車(EV)の量産に対応した鋳造機や加工機を導入しつつあります。
 小西社長からは、HV車では電機メーカーが1次サプライヤーとなる場合には、コンタミ(ゴミ)の管理についての要求水準が高く、当社ではクリーンルームを設置したうえ、最後に掃除機を使ってから出荷しているとのお話を伺いました。また東北地域における自動車産業の集積の可能性については、技術的には地場企業でも可能と考えるが、1次サプライヤーの方で域外の元々の取引先とのつながり(しがらみ)もあり簡単ではない、との見方を示しておられます。
 3社合併後のトヨタ東日本では、東北での現地調達率を現在の4割から8割程度まで引き上げるとの目標を掲げ、本社(大衡工場)には部品の現地調達化を進める拠点として「東北調達化センター」を設置しています。世界的な自動車メーカーの場合、当然ながら、品質、価格両面で要求水準は高く、参入は簡単ではないでしょうが、独自の技術力を持つ地元中小企業がこれに挑戦して、東北での自動車産業の裾野が広く形成されることに大いに期待したいものです。

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