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2011年9月15日

 9月10日(土)、石巻を訪ねました。高速道路を降りて、日本製紙石巻工場の側を通りますと、震災によりほとんど壊滅状態になった工場もかなり修復が進んでいる様子が窺えます。製紙のロールが無残に散乱していた敷地内もきれいに片付いていました。日本製紙は、石巻を水産加工業とともに支える基幹産業でありその再開が待たれていたわけですが、9月16日に、やっと生産を一部再開する運びとなりました。とは申しましても、当面は、震災前に8台あった抄紙機のうち1台が稼動するのみですが、年度内には、さらに3台の抄紙機を稼動させ、年間66万トンの生産体制(震災前は100万トン)を目指しています。
 沿岸部のがれき置き場の側を過ぎ、日和大橋を渡ると、広大な水産加工団地が広がっています。この地区は大半が浸水地域で、未だ復旧の目処は立っておりませんが、一部の比較的被害の少ない工場では修繕をして、生産を再開させる動きも出ているようです。

(石巻市 鮎川浜地区)

 沿岸部をさらに進み、伊達政宗の命によりヨーロッパに渡った支倉常長が乗ったサン・ファン・バウティスタ号を復元したテーマパーク(被災により閉館中)の側を過ぎると、牡鹿半島に入ります。牡鹿半島の先には金華山があり、この付近で採れるサバは「金華サバ」と呼ばれ珍重されています。牡鹿半島の沿岸部を走る2号線を進みますと、旧牡鹿町役場(現石巻市牡鹿総合支所)のある鮎川浜地区に着きます。沿岸部の集落はことごとく津波により破壊されています。さらに地震による道路の被害も酷く、至るところで亀裂や陥没が見られ、車の走行にはかなり神経を使わなければなりません。半島の中央を走るコバルトライン(観光道路)の被害はさらに甚大で、未だに通行止めになっています。
 9月10・11日の2日間、仙台市内では毎年恒例の「定禅寺ストリートジャズフェステバル」が開催されました。今年は、746組のグループが、街のあちこちで復興の願いと鎮魂の思いを載せた旋律を奏でました。2日間の人出は79万人と昨年を5万人上回ったそうです。9月11日は、あの大震災からちょうど半年になりますので、地震の発生した午後2時46分に、街中のグループが一斉に「A(ハ長調でラ)」の音を奏で、聴衆も皆で黙祷しました。

(写真提供:仙台市観光交流課)

写真3

 9月12日(月)、東日本大震災復興対策本部の宮城現地対策本部会合が開催されました。野田新内閣の発足に当たり、宮城現地対策本部長も交代となりましたので、郡新本部長をお迎えしての初めての会合となります。本部員である国の出先機関の長から、復興に向けた取組みを報告し、問題点や課題等についての意見交換が行われました。現地対策本部は、6月末に被災3県に設置され、復興に向けた取組みの推進を図っています。この現地対策本部は、国の出先機関の長が本部員であることから、各省庁の取組みについての情報を共有しながら、問題点・課題を明確化することが容易で、本部長のリーダーシップの下、これまでも復興への取組みの推進に具体的な成果を挙げてきています。復興にスピード感が無いとの指摘を各方面から受けておりますが、今後とも、現地対策本部を中心にスピード感を持って復興に取り組んで参りたいと思います。

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